岩塚製菓のこれまでの歩み
創業から現代まで、岩塚製菓のこれまでの歩みを
ご紹介いたします。
岩塚製菓は岩塚村(現在の新潟県長岡市)という小さな村で生まれました。冬は豪雪となり、秋に収穫を終えると、翌年の春まで出稼ぎに行っていました。家族が揃って冬を越せる家は、ほとんどありませんでした。
出稼ぎをしていた「平石 金次郎」と「槇 計作」。友人だった二人は、ある夢をもっていました。
出稼ぎに行かなくても、暮らしていける地域にしたい。
苑月焼 発売
新潟県菓子品評会でも、農林大臣賞を受賞するほどの品質の高さでした。
1947
岩塚農産加工場創業。
地元でとれる甘藷(サツマイモ)を原料に、カラメル作りを開始。寝る間を惜しんで美味しいカラメル作りの為に努力した結果、品評会で、二人のカラメルが日本一に輝きました。
1954
個人営業より法人組織とし、株式会社岩塚農産加工場を設立。
しかし…
大手メーカーもカラメル作りに進出。二人の小さな会社は経営の危機に陥ります。決意したのは、地元の特産品である米を使った、米菓への転換でした。3年間、米菓の生地作りを請け負ったのち、オリジナルの米菓づくりをスタート。
平石と槇から、現代の岩塚製菓へと伝わる加工品・加工技術への信念が込められた言葉です。
農産物・農作物の加工品は原料より良いものはできない
だから、良い原料を使用しなくてはならない
ただし、良い原料からまずい加工品もできる
だから、加工技術はしっかり身につけなければならない
いくら加工技術を身につけても、
悪い原料から良いものはできない
1960
岩塚製菓株式会社へ社名を変更。
平石と槇には、カラメル作りで培ってきた、品質への信念がありました。
1963
本社工場(飯塚工場西棟)竣工。
1966
お子様せんべい 発売
岩塚製菓の名が日本中に知られるきっかけとなったのが、大ヒット商品お子様せんべい。発売から半世紀たった今も愛され続けているロングセラー商品です。実は、米を浸す時間を間違えたという、失敗から生まれたものでした。せんべいは硬いもの、という常識にとらわれない、赤ちゃんでも食べられるやわらかい口どけの商品です。
1972
中沢工場竣工。企業内保育園「こばと保育園」開園。
新潟県長岡市に米菓専門店「瑞花本店」を開店。
1982
1980
沢下条東工場(現在の沢下条第二工場)竣工。
1981
沢下条西工場(現在の沢下条第三工場)竣工。
1983
台湾の宜蘭食品工業股份有限公司(現在の旺旺集団)と米菓製造の技術提携を開始。
「瑞花本店」を当社100%出資の「株式会社瑞花」に改組。
1985
NPS研究会に入会。IPS(岩塚新生産方式)に着手。
1987
米菓の通信販売を専門とする
「株式会社新潟味のれん本舗」を当社100%出資により設立。
1988
株式を日本証券業協会に店頭売買銘柄として登録。
1989
千歳工場(現在の北海道工場)竣工。こばと保育園閉園。
1990
1991
社員研修センター竣工。
1981年に、台湾の食品メーカーから「岩塚製菓の味が忘れられない 祖国へ広めたい」と、強い要望がありました。熱い思いに応え、技術提携を結びました。
その後食品メーカーは、旺旺グループとして中国に進出。年商4,000億円以上となった現在も、岩塚製菓が技術指導を行っています。この提携を足掛かりに、岩塚製菓はアジアだけでなく、世界へ目を向けています。
WANT WANT HOLDINGS LIMITED.
(現在のWANT WANT CHINA HOLDINGS LIMITED.)
との間で、東京に合弁会社「旺旺・ジャパン株式会社」を設立。
2003
沢下条工場を対象に環境の国際規格ISO14001認証取得。
長岡市南陽に長岡工場取得、操業開始。
日本証券業協会への店頭登録を取消し、ジャスダック証券取引所に株式を上場。
2004
2004年、岩塚製菓に最大の危機が訪れました。
2004年10月23日 午後5時56分
マグニチュード6.8の、新潟県中越地震が発生。
震源地に近かった岩塚製菓の工場は、
壊滅的な被害を受けました。
お米を中心とした農産物、農産加工品の販売を行う「里山元気ファーム株式会社」を当社100%出資により設立。
2009
飯塚工場、沢下条第一工場、製造本部を対象に食品安全マネジメントシステムの
国際規格ISO22000認証取得。ジャスダック証券取引所と大阪証券取引所の合併に伴い、大阪証券取引所JASDAQに上場。
2010
主力商品を含む32品目の商品に国産米100%使用開始。
東日本大震災をうけ「明日へつなごうプロジェクト」発足。
2011
1994
沢下条中央棟(現在の沢下条第一工場)竣工。
米菓の法人向け販売を専門とする「株式会社越後抄」を当社100%出資により設立。
1997
沢下条第四工場竣工。
2005
本社所在地を新潟県長岡市浦に移転。
飯塚工場東棟竣工。
2006
研究・開発拠点としてR&D・Mセンター竣工。
2007
飯塚工場西棟を閉鎖し飯塚工場東棟に統合。呼称を飯塚工場とする。
2008
本社、飯塚工場、中沢工場、長岡工場、千歳工場(現在の北海道工場)、R&D・Mセンターを対象にISO14001認証取得。
2011年に起きた、東日本大震災。
すぐに、被災地との交流が始まりました。
被災経験のある社員たちは、居ても立っても居られず、
「揚げたてちゃん号」で被災地を訪問。できたてのおせんべいを届けたのです。
そして立ち上げたのが、明日へつなごうプロジェクト。
被災地である南相馬市の児童と商品開発をスタート。
開発した商品「バタしょっと」は2013年から2021年まで発売。
売り上げの一部を教育資金として役立ててもらいました。
2012
沢下条第二工場を対象にISO22000認証取得。
2013
沢下条第三工場・第四工場を対象にISO22000認証取得。東京証券取引所と
大阪証券取引所の統合に伴い、東京証券取引所JASDAQ(スタンダード)に上場。
2015
株式会社田辺菓子舗の全株式を取得し子会社化。
2016
千歳工場(現在の北海道工場)を対象にISO22000認証取得。
2016年、熊本地震の後には、熊本県産のお米を使った商品で、被災地を支援。
地域との絆は、続いています。
長岡銘菓「米百俵」の菓子・商標の権利を取得。
2017
千歳工場を北海道工場に呼称変更。北米市場に向けた事業展開を図ることを目的に
「IWATSUKA USA Inc.」を当社100%出資により設立。
2018
飯塚工場を対象にFSSC22000認証取得。
2019
長岡新工場竣工、中沢工場を閉鎖し長岡新工場に移設。
本社所在地を新潟県長岡市飯塚に移転。
2021
2020
株式会社越後抄を清算結了。
商品開発から製造まで一気通貫して行えるBEIKALab竣工。
2022
「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞の「審査委員会特別賞」を受賞。
岩塚製菓は岩塚村(現在の新潟県長岡市)という小さな村で生まれました。冬は豪雪となり、秋に収穫を終えると、翌年の春まで出稼ぎに行っていました。家族が揃って冬を越せる家は、ほとんどありませんでした。出稼ぎをしていた「平石 金次郎」と「槇 計作」。友人だった二人は、ある夢をもっていました。
出稼ぎに行かなくても、
暮らしていける地域にしたい。
昭和22年
1947
岩塚農産加工場創業。
地元でとれる甘藷(サツマイモ)を原料に、カラメル作りを開始。寝る間を惜しんで美味しいカラメル作りの為に努力した結果、品評会で、二人のカラメルが日本一に輝きました。
昭和29年
1954
個人営業より法人組織とし、株式会社岩塚農産加工場を設立。
しかし…
大手メーカーもカラメル作りに進出。二人の小さな会社は経営の危機に陥ります。決意したのは、地元の特産品である米を使った、米菓への転換でした。3年間、米菓の生地作りを請け負ったのち、オリジナルの米菓づくりをスタート。
昭和33年
1958
苑月焼 発売
新潟県菓子品評会でも、農林大臣賞を受賞するほどの品質の高さでした。
昭和35年
1960
岩塚製菓株式会社へ社名を変更。
平石と槇には、カラメル作りで培ってきた、品質への信念がありました。
平石と槇から、現代の岩塚製菓へと伝わる加工品・加工技術への信念が込められた言葉です。
農産物・農作物の加工品は
原料より良いものはできない
だから、良い原料を使用しなくてはならない
ただし、良い原料からまずい加工品もできる
だから、加工技術は
しっかり身につけなければならない
いくら加工技術を身につけても、
悪い原料から良いものはできない
昭和38年
1963
本社工場(飯塚工場西棟)竣工。
昭和41年
1966
お子様せんべい 発売
岩塚製菓の名が日本中に知られるきっかけとなったのが、大ヒット商品お子様せんべい。発売から半世紀たった今も愛され続けているロングセラー商品です。実は、米を浸す時間を間違えたという、失敗から生まれたものでした。せんべいは硬いもの、という常識にとらわれない、赤ちゃんでも食べられるやわらかい口どけの商品です。
昭和47年
1972
中沢工場竣工。企業内保育園「こばと保育園」開園。
昭和55年
1980
沢下条東工場(現在の沢下条第二工場)竣工。
昭和56年
1981
沢下条西工場(現在の沢下条第三工場)竣工。
昭和57年
1982
新潟県長岡市に米菓専門店「瑞花本店」を開店。
昭和58年
1983
台湾の宜蘭食品工業股份有限公司(現在の旺旺集団)と米菓製造の技術提携を開始。
1981年に、台湾の食品メーカーから「岩塚製菓の味が忘れられない 祖国へ広めたい」と、強い要望がありました。熱い思いに応え、技術提携を結びました。
その後食品メーカーは、旺旺グループとして中国に進出。年商4,000億円以上となった現在も、岩塚製菓が技術指導を行っています。この提携を足掛かりに、岩塚製菓はアジアだけでなく、世界へ目を向けています。
昭和60年
1985
「瑞花本店」を当社100%出資の「株式会社瑞花」に改組。
昭和62年
1987
NPS研究会に入会。IPS(岩塚新生産方式)に着手。
昭和63年
1988
米菓の通信販売を専門とする
「株式会社新潟味のれん本舗」を当社100%出資により設立。
平成元年
1989
株式を日本証券業協会に店頭売買銘柄として登録。
平成2年
1990
千歳工場(現在の北海道工場)竣工。こばと保育園閉園。
平成3年
1991
社員研修センター竣工。
平成6年
1994
沢下条中央棟(現在の沢下条第一工場)竣工。
米菓の法人向け販売を専門とする「株式会社越後抄」を当社100%出資により設立。
平成9年
1997
沢下条第四工場竣工。
平成15年
2003
WANT WANT HOLDINGS LIMITED.
(現在のWANT WANT CHINA HOLDINGS LIMITED.)との間で、東京に合弁会社「旺旺・ジャパン株式会社」を設立。
平成16年
2004
沢下条工場を対象に環境の国際規格ISO14001認証取得。
長岡市南陽に長岡工場取得、操業開始。
日本証券業協会への店頭登録を取消し、ジャスダック証券取引所に株式を上場。
2004年、岩塚製菓に最大の危機が訪れました。
2004年10月23日 午後5時56分
マグニチュード6.8の、新潟県中越地震が発生。
震源地に近かった岩塚製菓の工場は、壊滅的な被害を受けました。
平成17年
2005
本社所在地を新潟県長岡市浦に移転。
飯塚工場東棟竣工。
平成18年
2006
研究・開発拠点としてR&D・Mセンター竣工。
平成20年
2008
本社、飯塚工場、中沢工場、長岡工場、千歳工場(現在の北海道工場)、R&D・Mセンターを対象にISO14001認証取得。
平成21年
2009
お米を中心とした農産物、農産加工品の販売を行う「里山元気ファーム株式会社」を当社100%出資により設立。
平成22年
2010
飯塚工場、沢下条第一工場、製造本部を対象に食品安全マネジメントシステムの国際規格ISO22000認証取得。ジャスダック証券取引所と大阪証券取引所の合併に伴い、大阪証券取引所JASDAQに上場。
平成23年
2011
主力商品を含む32品目の商品に国産米100%使用開始。東日本大震災をうけ「明日へつなごうプロジェクト」発足。
2011年に起きた、東日本大震災。
すぐに、被災地との交流が始まりました。被災経験のある社員たちは、居ても立っても居られず、「揚げたてちゃん号」で被災地を訪問。できたてのおせんべいを届けたのです。
そして立ち上げたのが、明日へつなごうプロジェクト。
被災地である南相馬市の児童と商品開発をスタート。開発した商品「バタしょっと」は2013年から2021年まで発売。
売り上げの一部を教育資金として役立ててもらいました。
平成24年
2012
沢下条第二工場を対象にISO22000認証取得。
平成25年
2013
沢下条第三工場・第四工場を対象にISO22000認証取得。東京証 券取引所と大阪証券取引所の統合に伴い、東京証券取引所JASDAQ(スタンダード)に上場。
平成27年
2015
株式会社田辺菓子舗の全株式を取得し子会社化。
平成28年
2016
千歳工場(現在の北海道工場)を対象にISO22000認証取得。
2016年、熊本地震の後には、熊本県産のお米を使った商品で、被災地を支援。
地域との絆は、続いています。
平成29年
2017
長岡銘菓「米百俵」の菓子・商標の権利を取得。
平成30年
2018
千歳工場を北海道工場に呼称変更。北米市場に向けた事業展開を図ることを目的に「IWATSUKA USA Inc.」を当社100%出資により設立。
令和元年
2019
飯塚工場を対象にFSSC22000認証取得。
令和2年
2020
株式会社越後抄を清算結了。
商品開発から製造まで一気通貫して行えるBEIKALab竣工。
令和3年
2021
長岡新工場竣工、中沢工場を閉鎖し長岡新工場に移設。本社所在地を新潟県長岡市飯塚に移転。
令和4年
2022
「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞の「審査委員会特別賞」を受賞。
地域と共に歩み、
成長を続けてきた岩塚製菓。
これからも、創業の心を胸に、
さらなる挑戦を続けていきます。